気にしすぎな性格を直そうとしても直らない。
それはなぜか?
そう、それは・・・
気にしてないよね?って気にしているから。笑
気にしてないかどうか、を気にしている。
いかに自分が今、目の前で起きた出来事にたいして
気にしていないかを気にしている自分。
もうお手上げ状態。
以前、こちらで書いた、目の前から歩いてくる人が
自分を見て笑っていないか?とか。
今までの自分が気になっていたことに遭遇した場合
今の自分はそれが気にならないのかどうか
それを気にしている。
こればかりは、気にしない人にとって
そこまで気になる? ( ̄▽ ̄;) ってくらい。
きっと共感をされることは少ないと思うが、
私と正反対の全然気にならないって人がいたら
こういう人もいるんだよって
理解しようとしていただけましたら幸いです。笑
また、そんなの気にしなければいいじゃんって
お言葉もいただくこともあるけど、
そんな簡単に気にならないようにできれば
そうしたいのですが、、、できないというジレンマ・・・!( ^_^;)
結局は、昔からの思考の癖なんだと思います。
思考の癖って、生まれた時からのその人の気質もあると思うけど
どんな環境で、周りの人がどう接してくれたか?
この影響が大きいんじゃないのかなと私は考えています。
私は、あまり話さない性格です。
いまだに人見知りもします。
見た目からして大人しい性格なんだろうなって分かるぐらい
外から見た通りかもしれません。
でも、あまり話さない人でも
内には秘めた思いがたくさんあります。
沸々と湧き上がる感情。押しころしていた日々。
そんなことをしていると
今まであった感情はどこに消えた?ってくらい
「 無 」になった時もありました。
いろいろな感情があるのに
それをうまく出せないジレンマとの戦いにより
押しころされた感情は消えたのではなく
感情の起伏として出ないようになっただけでした。
なぜ、それに気がついたかというと
イライラするという感情がなくなるとともに
楽しいという感情も感じづらくなってきたからです。
感情というものは、連動している。
ひとつでも感じづらくなると、ほかの感情も同じように感じづらくなる。
そのように感じました。
イライラだけ、誰かを嫌いと思う気持ちだけ
なくなればいいと思っていたのに
気持ちは気持ちであって、それに名前やカテゴリーをつけているのは
人間なのかもしれません。
いろいろな感情というだけあって
好きな色・嫌いな色があるように
色というものはなくならない、ただそこにあるだけ。
それ以上でも、それ以下でもないもの。
それからは、イライラはしてもいいし
誰かを嫌ってもいいし、
すぐ、そんなことはしてはダメだ。
そんな枠にとらわれている時間が長いです。
なるべく愚痴を言わないように
清廉潔白な自分を ” 演じていた ” けれど
誰かに愚痴を吐き出すことで
「誰かのことを嫌ってもいいんだ~!!」なんて
スッキリした日もありました。
誰かにとって当たり前でも
そのほかの誰かにとったら当たり前じゃない。
今まで当たり前だったのに
何かの拍子で忘れてしまい
こうじゃなきゃダメなんだ・・・ なんて
自分で自分に鎖をつけていた状態な時もあります。
だから、定期的に誰かに話してみる。
人に話すことができない時は
とりあえず、紙に書き出してみる。
自分しか読まないと思えば
すごく酷いことも安心して書くことができる。笑
あとは読まれないように捨てましょう!(●^o^●)
自分がニュートラル(中立)な気持ちでいたら
そこから世界に笑顔な人が増えて
最後は 今よりすこしでも いい世界になっていると思います!
まあ、いい世界ってのも人それぞれなので
本当の意味でもいい世界って何なのでしょうね。笑
コメント